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東京高等裁判所 昭和54年(う)2504号 判決

被告人 黒川秀二 外二名

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人らの連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人秋山泰雄、同安養寺龍彦、同中村清が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官西岡幸彦が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一及び第二について

所論は、要するに、被告人らは池田昭治に対し原判示のように共謀して暴行を加えた事実はなく、同人の受けた原判示傷害もその際における被告人岩佐の行為によるものとするには証明不十分であるのに、被告人らにつき共謀による傷害罪の成立を認めた原判決には、信用するに足りない右池田の原審証言を措信し、信用すべき被告人らの原審における各供述や目撃者らの各証言を排斥するなど証拠の取捨選択を誤り、ひいては事実を誤認したもので、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というに帰する。

しかしながら、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、被告人ら三名の原判示共謀による傷害の事実は、所論の指摘する諸点を含めて、これを優に認定することができるのであつて、原判決が「事実認定に関する補足説明及び弁護人の主張に対する判断」一の1ないし4において説示するところは、正当としてこれを是認することができ、所論にかんがみ、その余の証拠を精査し、また、当審における事実取調の結果を検討してみても、右結論を左右するに足りない。所論指摘の池田昭治の原審証言をつぶさに検討するに、その供述内容は具体的、詳細かつ明確で、首尾一貫しており、自己が目撃し若しくは体験した事実をその認識した限度で供述しているものと認められるのであつて、なんらかの意図をもつて虚構の被害事実を作出し、又は被害状況を誇大に述べていると疑うべき証跡は見当たらず、これを十分措信できるものというべきであり、このことは、同人の当審における証言態度及び証言内容によつても裏付けられている。所論は、ひつきよう、独自の証拠判断に基づいて、右池田証言と抵触する被告人らの原審における各供述及びこれに符合する関係者の各証言を措信すべきことを主張するもので、これを採用することができない。

所論にかんがみ、これを若干補足すれば、以下のとおりである。

1  所論は、池田主事が六三区の区分台付近から一時離れるようになつた経緯は、被告人らが、内務職の同主事が外務職の職務である普通郵便物の大区分作業をしていること自体をとがめ、口頭で注意ないし抗議をし、あるいは、その場にいた組合員らが不用意に懲戒処分の対象となるような行動をとらないように制止し、かかる事態の発生を防止するため紛争に介入した際、河田主事の振り上げた右手が被告人今村の顔面に当たつたため、同主事に詰め寄つたことによるもので、その際、被告人らは同主事に原判示暴行を加えた事実はない旨主張する。しかしながら、関係証拠によれば、原判示のとおり、被告人らは、その所属する全逓信労働組合(以下、「全逓」という。)蒲田支部が全国統一闘争の一環として行う郵便物の取扱いを遅延させる業務規制闘争、いわゆる物溜め闘争に対し、全日本郵政労働組合(以下、「全郵政」という。)蒲田郵便局支部の支部長である池田主事が全逓の右闘争を阻害するいわばスト破り的行為をしているとして立腹し、当初は口頭による注意ないし抗議をしていたところ、これに対し同主事が反発的態度に出たため、被告人らは有形力を行使してでもその作業を中止させようとの意図のもとに、原判示各暴行に及んだものであることが認められる。原判決の認定判断は適法に取り調べられた証拠に基づき、又は情況証拠による合理的な推認による認定であつて、所論のように、それが経験則・採証法則に違反し、あるいは、予断と偏見に基づく独断的認定であるとする非難は当たらない。

2  所論は、被告人らは各人各様の意図・目的のもとに池田主事の傍にあつたから共謀の事実はなく、殊に、被告人黒川の行為は紛争に巻き込まれた池田主事を付近の組合員から引き離すことによつて事態の収容を図つたものであるから、同被告人が共犯責任を問われるいわれはない旨主張する。しかし、池田昭治の原審証言によれば、被告人黒川は、池田主事の背後から背部あるいは左腕部を抱きかかえるようにして引つ張り、「ふざけるな、ふざけるな。」と言つており、池田主事が難を避けようとするのを妨げる場所に位置し、その際同人のために格別の行動をとつた形跡がうかがわれないのであつて、その後の段階において同被告人が事態の収拾を図るための行動に出たことは首肯し得ないではないとしても、少なくとも他の被告人らにおいて原判示各暴行を加えていた時点においては、被告人黒川に他の被告人らと別異の意図があつたとは認められない。要するに、被告人らの原判示各暴行は、前段説示のような統一された意図・目的に沿うものであり、被告人らは、犯行現場において相互の意図を察知し、暗黙のうちに意思相通じ、ここに暴行の共謀が成立したと認めるのが相当である。

3  原審及び当審における池田昭治の証言によると、同人の負つた原判示傷害は、被告人岩佐が池田の前面に接着して位置した中村和男と被告人今村の間から背をかがめるような格好をして右手を伸し、池田の左前腕部を下からわしづかみにしてねじり上げるという暴行(原判決のいう「つねる」とはこの趣旨と認める。)によつて形成されたものと認められる。所論は、池田によつて虚構の被害事実が作出された疑いがあるとするほか、創傷の部位、程度及び形状に照らし右のような被告人岩佐の行為によつては右創傷が形成される可能性がない旨主張するが、関係証拠を総合して判断すれば、所論の理由のないことは明らかである。当審において取り調べた弁護士秋山泰雄外二名作成の昭和五五年一二月一七日付報告書は、当時の模様を再現する実験結果によつて本件創傷にほぼ合致する傷害は、犯人が池田主事の左横やや後方から左前腕部を一定の方法で握つてねじるという動作をした場合にのみ生ずる可能性があることを立証し、これによつて被告人岩佐の行為によるものでないことを裏付けようとするものであるが、しかし、池田主事を中心に、被告人らを含む数名が押し合いの状態で移動する過程において発生した一瞬の出来事について、犯人の行動を後日の実験によつて正確に再現することは極めて困難なことであるから、右実験結果にはおのずからその証明力に限界があるものといわざるを得ないのであつて、これをもつて原判決の事実認定を覆えすには足りないものといわなければならない。

以上のとおり、原判決に所論の訴訟手続の法令違反及び事実誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第三について

1  所論は、刑法九五条一項にいう「公務員の職務」の中には、本質的に私人の行う非権力的・非強制的な職務と同等のものは含まれないと解すべきであるのに、これと異なる見解を示し本件につき公務執行妨害罪の成立を認めた原判決には法令の適用を誤つた違法がある、というのである。

しかしながら、刑法九五条一項にいう「公務員の職務」は、広く公務員が取り扱う各種各様の事務をすべて含むと解すべきものであつて、国家が公務員を通じて行う公務のうち非権力的・非強制的関係を内容とするもの、特に所論のように私企業的性格を有するいわゆる現業業務を除外すべきものでないことは、つとに最高裁判所の判例とするところであつて、当裁判所もこれと同一の見解をとるものである。本件において、郵政事務官池田昭治の原判示郵便物の大区分作業が右法条にいう公務員の職務に当たるとした原判断は、正当としてこれを是認でき、論旨の理由がないことは明らかである。

2  次に、所論は、池田主事の本件職務執行の適法性に関し、郵政事業職員の職務分類上内務職員である同主事が外務職の職務内容である本件普通郵便物の大区分作業を行うことは、郵政省の通達によつて定められた主事の掌理事項、協約及び蒲田郵便局における労働慣行による制約を受け許されないのであるから、本件職務執行は適法性を欠くのに、これに反する判断を示した原判決には、前提事実に関する事実誤認を含め、法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、関係証拠、殊に、原審証人松野年秀及び当審証人清水勢介の各供述によつて検討するに、第三集配課に配置されている池田主事が必要に応じて本来の所掌事務ではない本件郵便物区分作業を行うことは組織規定上も違法とはいえないのみならず、次に説示するように、上司の職務命令によつて事務応援として右作業を行うことができることも当然であつて、本件においては、同郵便局第三集配課長大江晃の職務命令によつて六三区の普通郵便物の大区分作業を担当するに至つたものであるから、その職務執行は適法であるといわなければならない。

昭和三〇年四月一日以降の俸給制度に関する協約(いわゆる八・八協約)の定める職群・職種の分類に従えば、計画主事は普通職群・内務職に、郵便物の大区分作業を担当する者は外務職群・外務職に分類対置されており、右職務分類によつて給与(調整額、調整加算額、特殊作業手当等を含む。)や勤務条件等に格差が設けられていることは所論のとおりに認められるが、右協定は、公共企業体等労働関係法の適用を受ける郵政省の職員の俸給制度に関し、官職と職務内容と責任の度に応じて、職員の給与及び勤務条件等に関する合理的な基準を設定する趣旨で締結されたもので、所論のいうように、これによつて職員の職務の範囲が限定されるものと解することはできない。このことは、右協約に基づいて郵政省が定めた郵政事業職員職務分類規程(昭和三三年五月二三日公達四七)第七条には、官職の分類は「職員の官職の通常の場合における主たる職務内容により行うものであつて、その官職にある職員の担当すべき職務の範囲を区分するものではない。」と明定していることによつても知り得るところである。そして、内務職職員に外務職の職務を行わせることによつて、当該職員に前示待遇上の格差に起因する給与及び勤務条件上の不利益を与える結果になる場合には、別途これを救済する手当をすれば足り、現実にも一定の措置がとられることになつていることが認められる。そうすると、協約による職務分類によつて内務職及び外務職が画然と区別されているとはいつても、事務応援のため内務職職員をして外務職の職務を行わせる職務命令を発することが協約によつて制約されないとする合理的根拠はなく、また、所論に沿う趣旨の労働慣行の存在することもこれを認めるに足る資料はないから、右のような職務命令に従つた本件業務の適法性を疑う余地はないものといわなければならない。なお、本件の集配課は、課内に内務職職員と外務職職員が配置され、両者の職務内容を同課の所掌事務としている場合であり、他の課などの事務応援をする場合とは性格を異にするから、兼務命令や郵政省就業規則一〇条所定の臨時の担務変更命令など一定の形式をとることを要しない。

3  所論は、被告人らには公務の執行を妨害する故意がなかつた旨主張するが、その趣旨とするところは、被告人らは、池田主事のした大区分作業が違法で、保護されるべき職務の執行ではないとの高度の確信を抱いていたから、職務執行の適法性について認識を欠き、そこに錯誤があつたから犯罪は成立しないというものと解される。

しかし、被告人らがその所属する全逓のとる見解に従い、池田主事の行う本件大区分作業が違法であるとの立場をとつたとしても、郵政省当局及び全郵政との間で、この点に関する見解が分かれていることについては、全逓の役員二名を含む被告人らにおいて当然認識があつたと認めるのほかないのであるから、被告人らが右職務執行が違法であることが一義的に明確であるとまで考えていたとは認め難いこと、原審証人大江晃、同池田昭治の各証言によつて明らかなように、本件以前においても、池田主事が月平均二回くらいは事務応援として郵便物の区分作業を行つていたが、全逓の闘争中でないときには格別の抗議も出ることなく済んでいたことなどの諸事情に徴し、被告人らは、少なくとも未必的には本件職務執行の適法性について認識していたものと認めるのが相当である。また仮に、被告人らにおいてそれが適法性を欠くものと誤信してこれを妨害したとしても、法律の錯誤にほかならないから(特に本件においては、適法性を欠くものと誤信したことについて相当の理由があるとは認められない。)、これによつて犯意を阻却するものとすることはできない。

4  なお、本件暴行が開始されたのは、池田主事が作業を中止した後の時点であり、既に妨害すべき職務の執行は存在しなかつた旨の主張について、原判決が説示するところは、正当としてこれを是認でき、そこに所論のいうような事実誤認があるものとは認められない。

以上のとおり、被告人らについて公務執行妨害罪の成立することは明らかであつて、論旨は理由がない。

控訴趣意第四について

所論は、要するに、被告人らの本件各行為が実質的違法性に欠けるところはないとした原判断は、その前提となる事実を誤認した結果結論を誤つたものであるというのである。

しかしながら、原判決に所論の指摘するような諸事実について誤認のないことは既に説示したところに徴し明らかである。被告人らの各行為が前示態様の争議行為に際して行われたものであるという事実をも含め、その動機、目的を考慮し、これにその手段としての有形力行使の具体的態様、これによつて妨害された公務の内容、傷害の程度、その他諸般の事情をすべて勘案してみても、被告人らの行為が法秩序全体の見地から許容されるべきものとして、実質的違法性を欠くものとすることはできない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文、一八二条を適用してこれを被告人らに連帯して負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小松正富 寺澤榮 宮嶋英世)

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